岡村 愛奈(仮名)

学生・22歳

Spilling

昨晩はなんか寝付けずけっきょく朝7時過ぎまで起きていた。夜明け頃の朝日が射すでもなくのっぺりとした薄暗さと空気の冷たさ湿っぽさが、閉じたカーテン越しにもすごく雨の日の感じだったので嬉しかった。

 

昼過ぎ頃に起きて、寝間着のまま居間に降りてネットラジオなどを流しつつ昨晩のおかずの残りをいただく。それから本を読んだり、ギターを弾いたり、ちょっと家事をやったりしながら親の帰りを待つ。実家に帰っているあいだの平日はだいたいこういう感じで過ごしている。これが良いご身分ってやつかと思う。できればこういう生活を一生続けたい。あんまり人に迷惑をかけない形で。

昼食のあいだも、雨こそ降ってはいないが家の空気が雨の日の匂いだった。でも私が実家で感じている「雨の日の匂い」は実際のところたぶん雨自体よりも部屋干しの洗濯物の湿気や柔軟剤の匂いによるところが大きいと思う。

 

今日は昼食を食べながら『Spilling』を観ていた。HASAMI groupの青木龍一郎がインターネット上で出会った出自不明の楽曲の正体を探る約40分のドキュメンタリー映像。面白かった。

自分の話になるのだけど、ものを調べることに楽しさよりも虚しさを感じてしまうことのほうが多くなった。自分の気になるようなことはだいたいがちょっと調べればすぐわかるようになっていて、なんなら適当なまとめサイトやら検索エンジンのレコメンド機能が待ってましたと言わんばかりにお目当ての情報を差し出してきたりするものだから、あたかもありとあらゆる情報の巨大な集積が塊になって存在してて、あとは私がちょっと手を伸ばすのを待っているだけかのような錯覚をおぼえる。私がものを知らないことはその「ちょっと手を伸ばす」をしなかった怠惰にほかならない。最近はもう知らないことがあっても「まあどうせ調べればわかるんだしな……」と調べる前からほっぽり出してしまったり、そのくせちょうど必要な情報がたまたまアクセスできなかったりすると「なんで用意できてないんだよ」とどこに向けているのかよくわからない怒りをおぼえたりしてしまう始末だ。

そんな中で、インターネット上の「平成ギャルのひとりごと Spilling こぼれるほどに」という楽曲の不親切としか言いようのない転がりかたと、それを執念深く地道に、楽しそうに追いかける青木氏の姿は、(本人は「陰気臭い」と言っていたが)まぶしいものがあった。最後、青木氏がついに曲の出所をつきとめて、声を合わせて歌いだす場面はちょっと感動した。情報と受け手とのあいだの距離感覚がリアルだった。ふだん世界のすべてと錯覚してしまう膨大なアーカイブの外側にこんなにも豊かな世界があったのかと感動するとともに、本来不親切に転がる情報の海からこういう地道な調査を重ねて世界のすべてと錯覚してしまうほどの膨大なアーカイブを組み上げてきた先人たちの営みの遠大さを感じた。それを雑につまんで我が物顔でプレビューを稼ぐ適当なまとめサイトへの憎悪の気持ちも新たにした。

あとなんかテロップの入れ方とか音楽の入り方とかが、チープだし別にオシャレではないのになんか妙にかっちょよい。

www.youtube.com

 

 

 

グロ日

昨日の話なんだけど4本目の親知らずを抜いた。終わった~~~!!!これでようやく「ふと思い出しては暗い気持ちになることリスト」から親知らずの項が消えた(ほかに卒論、将来、死、両親のセックスから自分が生まれたという事実、など)。ここまでだいぶ頑張ったので今後私の身には一切の痛いことやグロいことが起こらないでほしい。

 

親知らずの抜歯は施術中いかにご機嫌でいられるか勝負なところがあるなと過去3回の試合から学んだので、買ってあった漫画の単行本をひたすら読んでテンションを上げようと努めた。『夢中さ、きみに。』まじで面白すぎる。『さよなら絵梨』やっぱり良い。公開当初の「藤本タツキの新作読み切りが来るぞ!!!うおーーー今度は一体どんなスゴいものを見せてくれちゃうんだ!?!?!?」的な空気の中で読んだときとはまた違った良さがある。今回は下宿先から実家に移動してその日のうちに施術という詰め詰めスケジュールで、前日の夜、帰省の用意が一切できていない焦りと抜歯の恐怖がないまぜになって軽くパニックになり、さらに「こんな精神状態で明日の施術を乗り切れるのか」とよりいっそう不安が増すという良くないスパイラルにはまっており、なんとか寝て起きた後も沈んだ気分がしっかり尾を引いていて参っていたのだが、両作のおかげでだいぶ助けられた。

 

車で歯医者に向かう道中、母に「施術中正気を保っていられるだろうか」と泣き言をもらすと、母が歯を削られたりしているときはなぜか決まってモーツァルトの『トルコ行進曲』が頭の中で流れている、という話をしてくれた。「きっとテンポが緊張しているときの心拍数と響きあうのよ!やっぱりモーツァルトってすごいんだわ」と言っていたがそれはどうか知らない。

今回の施術中は、そんなわけで『トルコ行進曲(岡村母歌唱ver.)』が頭の中で「てぃやらららん てぃやらららん てぃやららてぃやららてぃやらららん♪」と流れる中、歯医者の天井の石膏ボードの模様の中から、ひらがなっぽく見える部分やいちばんかわいく顔に見える部分を目で探していた。

こういうやつ

あんなに怖かったのに麻酔を入れおわったとたんなんか急にスンとして、歯を抜かれているあいだもけっこう落ち着いた気持ちでいられた。抜かれ慣れてきたのだろうか。あるいはなんか麻酔自体にそういう鎮静作用みたいなのがあるのかな。

今回抜いた親知らずはちょっと面倒くさい生え方をしていたのと、思いのほかでかかったらしく、素直に生えていた前回よりちょっと時間がかかった。掘り出された歯をまたもらってきたのだが、そのでかさっていうのが、形そのままに相似的に大きいわけではなくて、なんかこう、奥歯を作る用のプログラムの誤作動で生まれたみたいな、漢字に対する西夏文字みたいな感じのでかさで面白い。ぜひお目にかけたいけど歯肉とか付いてるのでここには載せられない。

 

チェンソーマンのアニメを見た。アマプラとかで見るつもりだったのだけど、居間でだらだらしていたらなんだかんだ0時になって、ちょうどついていたテレビで流れはじめた。すごいですね……。映像かっこいいし声いいし音がブリブリしている……。台詞や場面が補われてるところが多かったり独自のカットがあったりして、漫画の忠実な映像化にとどまらず、映画的な良いものを目指すぞという意志を感じた。藤本タツキの漫画は映画っぽいってよく言われるし、私も「そのまま映画にできちゃいそ~~」なんて思いながら読んでたけど、やっぱり漫画は漫画で、あの物語を本当に映画っぽいテンポや流れで見せようとするにはあれくらいの補いが必要なんだな。たまたま行きに読んでた『さよなら絵梨』も、叶うなら映画で見てみたい。映画パロディーのあざとさもなんか藤本タツキっぽいぞと思った。

居間には母もいた。こういういかにも若者っぽいものを親のいる場で楽しむのってなんか気恥ずかしいね。母は放送中ほとんど携帯を見ていたんだけど、一回だけ「この子金玉を売ったの?」と言っていた。

 

 

 

アムロふりかけないでたも

前回の日記で書いた、深夜に布団にムカデが現れた件のその後なのですが、日記を書き終えて夜が明けてきたあたりで急激に眠気に襲われて全てがどうでもよくなり、結局そのムカデが潜んでいるかもわからない布団にそのままもぐって眠りこけた。なんかもう、私が布団に入ってから意識を失うまでと目が覚めてから布団を這い出るまでの短い時間だけ大人しくしてさえくれればもうなんでもいいかなと思って……。布団いったん洗濯しようかなとか言ってたけどそれも結局してない。あれから3日くらい経つだろうか、とりあえず今のところ再会はしていない。

 

今日は一人カラオケをしてきた。ずっとカラオケというものに苦手意識があったのだけど、仲間内でやってるコピーバンドのボーカルの練習のために半ばやむなしという感じで一人カラオケに通いはじめてから、だんだんカラオケボックスの雰囲気こそ苦手だが歌を歌うこと自体はけっこう好きかもしれないと気づいてきた。派手柄の壁紙だとか虹色のLED照明だとか極端なマイクエコーだとかが醸し出すあの否応なしに楽しげな感じに毎度最初のほうはなんか乗り切れなくて照れてしまうのだけど、個室に入って歌い始めるとだんだん楽しくなってきちゃって最終的には我を忘れてデカい声を出している。でも1~2時間一人きりで人目を気にせずデカい声を出した後は自意識がハダカデバネズミ並みにむき出しになっているので、個室を出ると誰とも目を合わさないよう一目散に精算機に向かってそそくさと会計をすませ、声がデカくて満面の笑みのスタッフの「ありがとうございましたァー!!!」を背中に浴びながら逃げるように退店する。ジャンカラのスタッフはもれなく声がデカくて満面の笑みを絶やさないうえ通りがかる客への反応が鋭敏で恐ろしい。せっかくアプリを導入して入退店受付を完全無人化した意味がこれではまるで無いではないか(そんなことはない)。

 

人に作ってもらっただし巻き卵と、人にもらった鯖カレー缶を肴に、NHK+のおじゃる丸アーカイブ放送と、人に紹介してもらったニコニコ動画のどうしようもないMAD動画を垂れ流しながらハイボールで晩酌をして、とても幸せだった。イデオンがお菓子を買いに行くやつでめちゃくちゃ笑った。

 

 

 

ヒー

お久しぶり日記。

寝床にムカデが出現した。退治しようと右往左往しているうちにそのまま布団の中で行方をくらまされてしまった。どうしろというんだ……。とりあえず今夜中は自分の布団で寝ることをあきらめ、今に至る。明日の日中に落ち着いて布団の隅から隅まで点検しよう。掛け布団のカバーとかに入り込んでるかもしれないし、このさい洗濯もしちゃおう。

 

以下は昨晩に書きながら寝落ちしてしまった日記。

 

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うわ!!気がついたら半月以上放置していた。

ここしばらくは本当にいろいろあったのだが、いろいろあったがゆえに「今日は書くことがたくさんあるぞ!」と思うとなかなか腰が上がらず、そうしている間にも文章にしたいことはどんどん増えて、ずるずると先延ばしにしていた。このままだとちょっと埒があかないので、いろいろはいったんさておいて、思い出したときにでもぽろぽろ書いていこうと思う。

日記って難しいね。あまりにも何もないと書く気が全く起こらないし、いろいろありすぎると疲れて書けなくなってしまう。

 

今日は大学の後期の授業が始まる日で、つまり私の休学生活が正式に始まったが、初日はまったく何もしなかった。昼過ぎに起きてから、うわー始まっちゃったよ、どうしよう、図書館とか行ったらいいかな、何かしら授業に潜ってみたりするのがいいのかな、とウダウダしているうちに夕方になってしまった。なんか普通に通ってたときよりも「有意義に過ごさねば」みたいなプレッシャーが増した気がする。こういう困ったときにとりあえずすることを何か決めておきたい。

夕方のまだ明るいうちに、最初の食事としてラーメンを食べに出かけた。豚骨醤油スープに細い麺、ネギともやしとチャーシューとメンマ、といういわゆる中華そば系のラーメン。今まであんまり意識に上らなかったこういうラーメン屋さんに最近ちょっとずつ行くようになってきた。卓上に備え付けられた真っ赤な柚子胡椒ペーストがとても嬉しい。

それから漫画を買いに行き、ついでにコメダ珈琲店に入った。道中で自分を自転車で追い越していったグループのうちのひとりの口から「でも休学って何回したところで……」と漏れ聞こえてドキッとした。

ちょうど寮に戻ったタイミングで、これからなか卯に行こうとしている知人に出くわしたので、同行して隣に座ってプリンだけ食べて帰ってきた。なか卯のプリンはこってりと黄身の味がしておいしい。店で食べるのに値段は市販のちょっといいやつとさして変わらん安さだし、今後なか卯をプリンバーとして常用してしまうかもしれない。

買ってきたpanpanyaの新刊『模型の町』を読んだ。とっても良い。

 

 

 

肉体減らしウィーク

日記を毎日の日課にするのをあきらめつつある。

 

おととい髪を切られに行った。後頭部がたいへんかわいらしくなった。鏡を見るたびに後頭部がたいへんかわいらしくて新鮮に嬉しい。

地元の行きつけの美容院はおじさんが一人で切り盛りしている。最近はずっと大学の下宿先の美容院に行っていて、ここにお願いするのは久しぶりだから、私のことなど忘れているだろうと思いきや、電話で予約を取ったときの声だけで「岡村(仮)さんですね?」とわかったようでとても驚く。長いこと行ってなかったのになあ、何年ぶりだっけ、あ1年半ぶりか、じゃあ意外とそんなでもないなと思ったり、いやそもそも数か月に一度電話をかけてくるの人間が複数いる中で、その一人一人の声を聞き分けられるという時点でかなりすごいかもなと思ったりした。

この美容院には中学3年くらいから通っていて、人並みより狭かろう私の交友関係の中ではここのおじさんはかなり付き合いの長い部類に入るのだが、数か月に1~2時間しか話さないからだろうか、付き合いの長さの実感というか長さ相応の親しみみたいなのが全然ない。付き合いの長さって「○年の付き合い」って表されることが多いけど、実態はどちらかというと知り合ってからの年月よりも接触した累積時間の長さで測ったほうが適当なのかもしれない。

しかし不思議な関係だ。大して親しくもないのにこの人8年前から話し方が全然変わらないなあと安心してみたり、記憶の中では数か月に一度の1~2時間が約8年分圧縮されているせいで、時間の流れが速すぎて驚いたりする。そういえば中3からの付き合いなのにおじさんの名前を未だに知らない。

将来地元に定住したい気持ちはあまりないけど、漠然とこのおじさんのもとに通い続ける未来を想像している。

 

今日は親知らずを抜かれてきた。これで3本目。

たまたま母親の仕事が休みだったので、昼間は一緒にご飯を食べに行ったり、お洋服を見に行ったりした。「生贄の儀式を控えて最期に楽しい思いをさせてもらう子供」の気持ちをプチ体験した。

これから起こることは受け入れざるをえないので、せめてとにかく自分の身に起きていることから気をそらさなければと思い、手術直前に急いで携帯でタイの首都バンコクの正式名称(クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤー マハーディロックポップ ノッパラットラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェートマハーサターン アモーンピマーンアワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット)を検索して一生懸命暗記し、手術中はこれを思い出して気を紛らせようと決めた。しかしいざ椅子が倒されて麻酔の注射が始まると、もう「クルンテープ」より先がまったく出てこなくなってしまった。バンコクの正式名称は追い詰められながら思い出すには難しすぎた。

気をそらすのにちょうどいい考え事は思いつかず、けっきょく歯を抜かれている最中は、「月夜の畑の上にフワーとやってきたUFOが、畑に植わった歯を土からズボボッと引き抜いてさらっていく映像」がひたすら浮かんでいた。

今回は切開も縫合もなく施術は存外あっさり完了した。なんとかファンシーな想像で最後まで現実から目をそむけ逃げ切った、次もこの調子で頑張るぞと思いながら体を起こした矢先、「ハイこれですね抜けましたよ~」と銀のトレーに転がった血みどろの臼歯を一切の心の準備なしに見せつけられた。ショックでなんか開き直ってしまって、麻酔の残ったおぼつかない口で助手に「それを持ち帰らせてくれ」と伝えると、え、いいですけど……みたいな顔をしながら衛生用品パックに包んでくれた。血みどろの歯をいきなり見せつけてきておいて血みどろの歯を持ち帰りたがる患者に引くなよと思った。

 

 

 

ねむにき

あいち2022常滑会場に行った。有松会場にも行くつもりだったのだが常滑すら回り切れなかった……。

常滑はとても素敵な街ですね。イベントごとがなくてもまた遊びに行きたいくらい。

 

書きたいことはいろいろあるけど、眠すぎるので今日はもう終わりです。

 

 

そういえばついさっき梨氏の新作怪談が公開されてて、さっそく読んで嫌な気持ちになったので、せっかくだしリンク置いとこ。

http://scp-jp.wikidot.com/quintessence

 

 

 

記憶の中の不安と記憶の外のテリー

今日は祖父母・両親に連れられてちょっといいお店で夕食をした。

私の実家から、ちょっといいお店がたくさんあるような隣町へ車で行くまでには、田んぼに囲まれた、人けのなく灯りも少ない道を通る。

幼少期は、隣町でおいしいものを食べたり遊びに行ったりした帰り道、広がる真っ暗な田んぼを車窓から眺めながら、「実は自分はこれから何か事情があって山に捨てられに行くところで、今日は最後に楽しい思いをさせてやろうということだったのではないか」「両親は何気ない顔をしているが、実は地球は今日で滅びることになっていて、私だけがそれを知らされていないのではないか」などと不安な妄想を膨らませては悲しい気持ちになっていたな、というのを今日の帰りに思い出した。

幼少期はこんな感じで何か贅沢というもの全般に漠然とした不安が付きまとっていたが、大きくなって、そういう楽しみを得るために大人たちが具体的にどれくらいの対価を支払っているのかがある程度ちゃんとイメージできるようになってから、そういう不安は次第に感じなくなっていった。

 

実家で、いつだったか年賀状を書くときに、筆ペンを試し書きしたと思われるメモ用紙が発掘された。私への罵詈雑言パートは兄が書いたので間違いないと思うんだけど、その他の記憶が一切ない。テリー伊藤の唾……?

 

2ページ目。まさかテリー伊藤のこと??