岡村 愛奈(仮名)

学生・22歳

肉体減らしウィーク

日記を毎日の日課にするのをあきらめつつある。

 

おととい髪を切られに行った。後頭部がたいへんかわいらしくなった。鏡を見るたびに後頭部がたいへんかわいらしくて新鮮に嬉しい。

地元の行きつけの美容院はおじさんが一人で切り盛りしている。最近はずっと大学の下宿先の美容院に行っていて、ここにお願いするのは久しぶりだから、私のことなど忘れているだろうと思いきや、電話で予約を取ったときの声だけで「岡村(仮)さんですね?」とわかったようでとても驚く。長いこと行ってなかったのになあ、何年ぶりだっけ、あ1年半ぶりか、じゃあ意外とそんなでもないなと思ったり、いやそもそも数か月に一度電話をかけてくるの人間が複数いる中で、その一人一人の声を聞き分けられるという時点でかなりすごいかもなと思ったりした。

この美容院には中学3年くらいから通っていて、人並みより狭かろう私の交友関係の中ではここのおじさんはかなり付き合いの長い部類に入るのだが、数か月に1~2時間しか話さないからだろうか、付き合いの長さの実感というか長さ相応の親しみみたいなのが全然ない。付き合いの長さって「○年の付き合い」って表されることが多いけど、実態はどちらかというと知り合ってからの年月よりも接触した累積時間の長さで測ったほうが適当なのかもしれない。

しかし不思議な関係だ。大して親しくもないのにこの人8年前から話し方が全然変わらないなあと安心してみたり、記憶の中では数か月に一度の1~2時間が約8年分圧縮されているせいで、時間の流れが速すぎて驚いたりする。そういえば中3からの付き合いなのにおじさんの名前を未だに知らない。

将来地元に定住したい気持ちはあまりないけど、漠然とこのおじさんのもとに通い続ける未来を想像している。

 

今日は親知らずを抜かれてきた。これで3本目。

たまたま母親の仕事が休みだったので、昼間は一緒にご飯を食べに行ったり、お洋服を見に行ったりした。「生贄の儀式を控えて最期に楽しい思いをさせてもらう子供」の気持ちをプチ体験した。

これから起こることは受け入れざるをえないので、せめてとにかく自分の身に起きていることから気をそらさなければと思い、手術直前に急いで携帯でタイの首都バンコクの正式名称(クルンテープマハーナコーン アモーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤー マハーディロックポップ ノッパラットラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェートマハーサターン アモーンピマーンアワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット)を検索して一生懸命暗記し、手術中はこれを思い出して気を紛らせようと決めた。しかしいざ椅子が倒されて麻酔の注射が始まると、もう「クルンテープ」より先がまったく出てこなくなってしまった。バンコクの正式名称は追い詰められながら思い出すには難しすぎた。

気をそらすのにちょうどいい考え事は思いつかず、けっきょく歯を抜かれている最中は、「月夜の畑の上にフワーとやってきたUFOが、畑に植わった歯を土からズボボッと引き抜いてさらっていく映像」がひたすら浮かんでいた。

今回は切開も縫合もなく施術は存外あっさり完了した。なんとかファンシーな想像で最後まで現実から目をそむけ逃げ切った、次もこの調子で頑張るぞと思いながら体を起こした矢先、「ハイこれですね抜けましたよ~」と銀のトレーに転がった血みどろの臼歯を一切の心の準備なしに見せつけられた。ショックでなんか開き直ってしまって、麻酔の残ったおぼつかない口で助手に「それを持ち帰らせてくれ」と伝えると、え、いいですけど……みたいな顔をしながら衛生用品パックに包んでくれた。血みどろの歯をいきなり見せつけてきておいて血みどろの歯を持ち帰りたがる患者に引くなよと思った。